コスモス福岡支部令和二年七月歌会報告
コスモス福岡支部令和二年七月歌会報告
二月から五カ月ぶりにアクロス福岡セミナー室で歌会を開催。詠草提出は十九名あったが、提出時より新型コロナ感染者が増加しその不安のためか、当日欠席は七名となり参加者は十二名。そんななか、伊田史織さんの初参加が喜ばしい。司会は大西晶子、選者は大野英子。最高得点歌は大西晶子の
産卵する枝をさがすらし梅雨のあさ柚子の木めぐり黒揚羽とぶ
黒揚羽が柚子の木に産卵することを知っている作者の観察が行き届いているとして票を集めた。しかし、初句六音や二句の推量の助動詞「らし」の表現が強すぎるとの意見が出され、二句までを「産卵の季節となるや」という添削例が出された。そのほか五首を紹介する。
ガラス戸に前脚当てて吾を見詰む白き子猫のその目光れり
三句の吾は不要「見詰めゐる」とすればよい。五句の完了の助動詞「り」は短歌的表現のようにみえるため多用されるが、単なる字数合わせとして使われる場合が多く安易に使うべきではない。結句は三・四が安定し、四・三は不安定だと言われてきたため「~れり」も多用されたのかもしれない。さらに、この歌の白猫がガラスの外か中かにより、楽しい歌か哀れな歌か、鑑賞の仕方が全く違ってくる。野良猫か家猫かわかるだけでもそれは解消されるので、例えば三句以下を「見詰めゐる野良の子猫のその目が光る」とすればよい。
駆け込みし交番にわがスマホあり急ぐ夕べに届けくれし人
前の歌と同じく「わが」が不要。初句の過去の助動詞「き」の連体形「し」は便利に使うべきではない。「急ぐ夕べ」は作者の主観。スマホを交番へ届けてくれた人への感謝を詠んでいるが、上句と下句の繋がりが悪くその気持ちがストレートにつながらない。結句の人で終わる表現に感謝の気持ちがあることを活かし「駆け込んだ交番にスマホ届けあり急ぎ届けて立ち去りし人」と添削例が示された。
日も暮れぬ中洲歓楽街の路地人あふれドブネズミ駆けゆく
カミュのペストを思い出させる光景が詠まれており二句三句の句跨りの表現もうまく使われているという意見があった。一方、初句切れと読めば日が暮れているとも読める歌で、日が暮れたのかまだ明るいのか迷う歌との意見も出た。また、二句三句の名詞で終わる句跨りも詠みづらいとの意見もあったが、「博多中州の裏路地に」と添削され解消された。
「お腹空いた。甘いものなど食べたいな」胃瘻の夫は会ふたびに言ふ
括弧の中の会話が不自然。病院なので「会ふ」も「面会」と正確に表現すべき。このままでは単なる報告の歌になっているので、胃瘻に耐えている夫の表情などを詠み込まないと人に訴える歌にならない。例えばとして示された添削例、「「お腹空いた。甘いもの食べたい」面会のたびに胃瘻の夫の縋る目」。
二十年も心に残る師の教え松の新芽摘みさあはじめむと
何が師の教えなのか分からない歌になっている。初句の「も」は不要。結句の「と」は言いさしになっており、次に何をしようとするのか読者に判断をゆだねる表現なので避けるべき。添削例「二十年心に残る師の教えは松の新芽摘みさあはじめなむ」。「なむ」は動作・状態を実現しようとする強い意志をあらわす助動詞。 以上
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