コスモス福岡支部令和2年11月歌会報告


令和2年11月8日( 日) アクロス福岡セミナー室1においてコスモス福岡支部定例の歌会が開かれた。提出された詠草は15首、欠席はなく参加者は15名。選者は藤野早苗、大野英子、大西晶子欠席のため司会は大野英子、最高得点歌は有中房子の歌。

 〇路地ぎはの柚子は成り年午後の日に西半球が黄に色付けり

路地の際の家に沢山生っている柚子の実に午後の日ががあたっていて、西側半分だけが黄色く輝くか、色づいている景がうまく詠まれている。西半球が少し大げさなように見えるが、柚子のたわわに生っている様子と呼応して違和感がない。高野氏の「みどりごは泣きつつ目ざむひえびえと北半球にあさがほひらき」のスケールの大きさも思わせる歌。ただし、「色付けり」が単に西日があたっている様子とも、熟して色づいたともとれるのが弱い。場所が見えにくい「路地ぎは」を「壁ぎは」とすることにより、西日しか当たらないので半分だけが色づいている景が立ち上がる。その他の四首を紹介する。

  〇一人住む秀子さん家の奥の間はシンビジウムの花園なりき

 結句の断定の助動詞「なり」と過去の助動詞「き」で亡くなった秀子さんへの挽歌と読める歌。この場合、初句の現在形は時制の不一致となるが、散文の文法に従わない短歌的省略として読めば気にならないとする意見があった。一方、初句の現在形に引っ張られるのと、「奥の間」が広い家の奥の暗い部屋を想像させ花園のイメージがわかないなど、歌意が取れないとする意見もあった。

  〇やはらかき秋日さしこむ東長寺御堂にひびく真言声明

 景は明確で美しくできているが、景を切り取っただけに終わっており、作者の工夫がもう少し欲しい歌。うまい歌で破綻がないが個性が感じられない。「やはらかき」や「御堂にひびく」が常套的な表現になっている。上句を例えば障子をとおる秋の日が差し込むような景として作者が感受したこと詠めば個性が出せるのではないか。

  〇マスク取り金木犀の木の下で今年の秋をそそくさと吸ふ

 コロナ禍の木の下でマスクを取って香りをかぐという類の歌が増えている。この歌は「そそくさ」で抒情がなくなり歌柄を小さくしている。「そそくさ」が嘱目すべき表現であることは分かるが、落ち着かない駆け足の表現となっており短歌的情緒がない歌になっている。「今年の秋を吸ふ一刹那」とすれば、金木犀の香りもマスクを少しの時間だけ外した様子も表現できる。

  〇理念なく行革をする宰相の動かぬひとみが妖しくひかる

歌を詠んで印象を作るのではなく、印象ありきで歌を詠んでいる。「理念なく」や「妖しくひかる」など言葉で簡単に片づけすぎており、その言葉にもバイアスがかかりすぎている。「動かぬひとみ」の様子をもっと丁寧に観察して、そこから理念のなさや妖しさを想像させるように詠まなければならない。

以上です。

コスモス短歌会 福岡支部

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