コスモス福岡支部令和二年九月歌会報告

  令和2年9月13日( 日) アクロス福岡セミナー室1においてコスモス福岡支部の定例の歌会が開かれた。提出された詠草は15首、1名の欠席があったので参加者は14名。興津さんが久しぶりに出席された。選者は藤野早苗、司会は大西晶子、最高得点歌は橋本宣子の歌。

 〇エスカレーター最上段に運ばれてそこより進む術なき落葉

下句の「そこより進む術なき落ち葉」がエレベーターを上り詰めて行き場のない落ち葉の様子であるとともに、作者の心理状態を投影しているレトリックに優れた歌。しかし、その意図が見えるのが気になる歌でもある。もう一つブレークスルーするためには、描写に徹して、例えば下句を「足止めされてゐる柿落ち葉」と単純化する方法も考えられる。「進む術なき」という表現に、落ち葉よりも作者自身の屈託が全面に現れてしまい、過剰な印象を残してしまうのがやや残念である。

その他にいくつかの歌を取り上げる。

  〇水羊羹のせたら〈映(ば)え〉のよさそうなあぢさゐのあをき葉は毒をもつ

 〈映(ば)え〉はインスタ映えのことであるが、このような新語を歌に用いるかどうかは意見が分かれるところ。最近の言葉のサイクルは短くなっていること、またSNSを使うかどうかという生活様式の違いなどを考えると、使う方が自然な層の人々もいるだろう。この作品の作者は〈映え〉という語彙を使うことを選択したのだから、その言葉の使用そのものを否定することはできないだろう。問題は語彙よりも詠み方で、この場合、「よさそうな」は不要。〈映(ば)える〉とした方が良い。また、紫陽花の葉に毒があるかどうかは今のところ確定していないようなので結句に「毒もつ」と確定的に詠まない方が良い。たとえば「水羊羹のせたら〈映(ば)える〉あぢさゐのあをき葉秘めてゐるといふ毒」ぐらいに抑えてみてはどうだろう。

  〇コロナ禍に騒然とするこの地球(ほし)にひこ孫元気なうぶ声を上ぐ

 ストレートな喜びに満ちた歌。地球(ほし)の表記はこのままでも良いが、コスモスの場合「星」と直されるだろう。二句の「騒然とする」は不要な表現であり、ひこ孫が男と仮定すれば、「コロナ禍のこの星のうへひこ孫の男の子元気なうぶ声を上ぐ」のようにすることもできる。

 〇娘ら家族盂蘭盆会参り来てくれり男孫女孫も身長伸びて

三句の「来てくれり」の完了の助動詞「り」は四段活用の已然形とサ変の未然形に接続するが、「くる」は下二段活用の動詞なので「り」は文法的に誤まり。また、作者は初句の「娘ら家族」を「こらかぞく」と五音で読ませたいのだろうが、娘を「こ」と読ませるような表現が初句に置かれると読みを妨げられ、内容にスムースに入れなくなる。「盂蘭盆会参りくれたる娘の家族男孫女孫の身長伸びて」で良いのではないだろうか。

 〇ぬばたまの羽根を広げてうすやみに消えてゆきたり青銀の糸

 ハグロトンボという言葉を用いず、それを詠んでいるところに作者の工夫が見える。読者によってはアオスジアゲハを想像してしまう可能性もあるが、それはそれとしていいのではないか。何かが「青銀の糸」を引くように飛んでいったことが重要なのでそのイメージを想定できれば良い。問題は、四句の「消えてゆきたり」。「青銀の糸」のように見えたことを詠みたいのであれば、消えることを詠むより、糸のイメージを活かした表現をした方が良い。たとえば、「うすやみを縫ひて飛び行く」とすることも可能。また枕詞「ぬばたまの」の使い方については、最近の傾向として、枕詞ー被枕詞の組み合わせで使わねばならないということもなくなりつつある。「ぬばたまの」自体に黒いという意味を持たせたり、「たらちねの」「ははそばの」に母という意味を持たせたり、という使い方も見られるようになってきた。全ての枕詞がそうであるわけではないが、枕詞が被枕詞の意味でそのまま使用される傾向はたしかにある。

   以上です。次回の10月の歌会はコロナウイルスの影響により中止します。11月の歌会については状況を見ながら判断し、事前に連絡をします。

コスモス短歌会 福岡支部

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